中島らも「永遠も半ばを過ぎて」を読んだ感想

「ボクたちはみんな大人になれなかった」の作者である燃え殻さんが、Twitterでたまに話題にする中島らもさんの「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」を読みました。燃え殻さんを彷彿とさせる綺麗な文章に惹かれました。

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

 

 

燃え殻さんが好きな本

燃え殻さんのこのツイートを見て、「永遠も半ばを過ぎて」を読もうと思いました。

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中島らもさんが残した言葉についても触れています。

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ちなみに中島らもさんの言葉の全文はこれ。

ただこうして生きてきてみると
わかるのだが、

めったにはない、
何十年に一回くらいしか
ないかもしれないが、

「生きていてよかった」
と思う夜がある。

一度でもそういうことがあれば、
その思いだけがあれば、

あとはゴミクズみたいな
日々であっても生きていける。

f:id:butabu1228:20190520231123p:plain燃え殻さんの文章は「どこか気だるい、それでも前進する感じ」があるんですけど、それは中島らもさんの影響かなとも思いました。

 

美しい嘘の物語

「永遠も半ばを過ぎて」は、写植屋の波多野、詐欺師の相川、編集者の宇井の3人がお酒と薬に溺れながら、大きな詐欺を仕掛けていく物語です。波多野が薬でラリってる間に無意識で書きあげた本のタイトルが「永遠も半ばを過ぎて」です。この本をヒットさせるべく、相川の嘘、宇井の編集者としての力を使うというストーリー。

この本は物語というよりも文章全体の切なく儚く美しい雰囲気を楽しむ方が良いかもしれません。誰かがこの本を「油性ペンで書いたみたいな小説だった。」と言っているのを知って、上手く言ったなと思いました。

 

相川の取り憑かれたように没頭し、完璧を求める凄さ

相川は二流三流の詐欺師であるものの、その準備は凄まじいものがあります。詐欺をする時は、"相川"という人物を捨て、他の人物になりきります(と言うより、その人に取り憑かれる感じ)。その為に大量の知識となりきるための準備をします。

僕のは演技じゃないんだよ。

例えば台本があって、その通りに喋れと言われても僕にはできない。

うまく言えないんだが、そいつになってしまうんだね。

by 相川

 

波多野のセリフにある、言葉に対する中島らもの思い

言葉を扱う仕事をしている波多野の言葉には、中島らもさんの言葉に対する思いが込められています。

孤独というのは「妄想」だ。孤独という言葉を知ってから人は孤独になったんだ

抽象的な目に見えないものは全て、言葉があったからこそ生まれたものです。

言葉が生まれると言うことは、この世界に新しい感情や状態や種類が生まれることなのかもしれません。

 

人は自分の心に名前がないことに耐えられないのだ。そして、孤独や不幸の看板にすがりつく。私はそんなに簡単なのはご免だ。不定形のまま、混沌として、名をつけられずにいたい。

おれは、岩や水の方がうらやましい。生きているってのは異様ですよ。みんな死んでるのにね。異様だし不安だし、水のなかでもがいているような感じがする。だから人間は言葉を造ったんですよ。卑怯だから、人間は。

名前がないもの、分からないものに対して、言葉を持つ人間はモヤモヤします。表現することは、人間の欠かせない能力なんですね。

 

手に入れることは、同時に何かを失うこと

僕の好きなセリフがこれです。

ひとつ手に入れると、ひとつ失うのよ。何でも手に入れる男は、鈍感なだけ。失ったことは忘れてしまう。苦しみの感情がないのよ。わかる?

新しいものを手に入れることで 失ったものの埋め合わせをするという行為は、人間の弱さを表しています。苦しいことを直視して耐えるのではなく、見ないように感じないようにして、苦しさの感情が去っていくのを待つ生き物なのでしょう。

傷ついた痛み、大きく空いた心の穴を、僕らは何かで埋め合わせて生きているのです。

 

「永遠も半ばを過ぎて」ぜひ読んでみてください!!

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

 

 

 

「スーパーバッド〜童貞ウォーズ〜」は泣ける。コメディ映画ではなく、最高の青春映画

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出会いと別れの季節、春に見たい映画「スーパーバッド〜童貞ウォーズ〜」を紹介します!

この映画は表向きは学生達の生活を描くコメディ作品なんですが、誰もが歩んだ青春の日々を終える郷愁を描いた作品でもあります。

卒業式を迎える人、童貞の人、好きな人がいる人、エマストーンが好きな人にオススメです!いや、すべての人にオススメだったわ。

別れの時期こそ見るべきな、卒業を描いた作品

 

「スーパーバッド〜童貞ウォーズ〜」はグレッド・モットーラが監督を務めたアメリカのコメディ映画であり、青春映画です。

男子三人が卒業パーティでなんとか童貞を捨てようと右往左往するというのが大まかなストーリーです。

魅力的な登場人物たち

 

高校生の男の子3人が主役になっています。

右のデブが、ジョナ・ヒル
アフロのコミカルな役です。

真ん中がクリストファー・ミンツ・プランセット
癖のあるひょろひょろした感じで、独特な雰囲気があります。

左がマイケル・セラ
顔はかっこいいのに、オタクでのび太みたいな印象です。

 

そして何より、ヒロインのエマ・ストーンが美人!


アメイジングスパイダーマン」や「ララランド」で有名ですね。

まーーーーーかわいい。

まーーーーー綺麗。

 

いつかは終わる青春時代の寂しさを表したこの映画

 

多くの人が感じたであろう、学生時代の永遠にも思えるような毎日。

全然モテないしクラスの真ん中にも全く行けない隅っこの青春時代で、うだつの上がらない日々。

 

最高とは言えない日々だったけど、

「でもあの頃楽しかったよな」

「モテない同士ですごい楽しく暮らしてたよな」

「今考えるとあの頃すんごい楽しくて、キラキラしてたよな」

と言える日常が、いつかは終わる。

 

いつかは終わる、楽しかった時代。
当たり前になってた楽しいことが、いつか終わっちゃうんだと気付いた瞬間に、やるせない気持ちになります。
それが大学に行く時なのか、社会人になる時なのか。。。

これから新しい人生が始まろうとしてることにワクワクしてる自分と、どこかで「あ、終わっちゃうんだ。俺たちのこの関係は終わるんだ。これまでのこの日々は終わるんだ。」と思っている自分がいます。

それは単純に物理的に終わるっていう部分もあるし、色んなことを知ってくから。あれだけ馬鹿みたいに、ただただ夢を見ていた時期がだんだん終わってゆく。それは現実や社会を知り、大人になっていくということです。

 

決して後戻りできない時間に流されて生きていく過程で止められない変化を感じつつも、変わりきってしまうまでの「今」を駆け抜けようとする3人の姿を描いた映画です。

 

大人になることに対する、肯定的姿勢

 

この映画は、大人になることを肯定的に捉えています。

学生時代のキラキラした時期が終わっていく時の切なさを「残念」「寂しい」「嫌なこと」と表現するのではなく、「それでも良いんだよ」という視点で監督は映画を撮ってる感じがします。

監督の気持ちを代弁すると、
『楽しいことはもう終わりだと思ってからも、人生は続く。そういうもんだから。その時は寂しいかもしれないけど、でもそうやって変わってくんだよ』という感じです。笑

高校生ぐらいの「あー、終わっちゃうわ俺」みたいなあの切なさ。

でも、大人になった今だからこそ言える「そうなんだけど、それでも続くぜ人生は」みたいな肯定感が本当に素晴らしいです。

 

泣きました。童貞を捨てるために頑張るだけの映画なんですけどね。。。笑

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の感想とうつ映画たらしめる理由

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ダンサー・イン・ザ・ダークという映画は衝撃的なバッドエンドからか、評価が極端に賛否両論あります。

 この映画内で、主人公が向かう先にあるのは光ではなく闇です。その中で人間の暗くえぐみのある部分が強く表現されています。

 

以下ネタバレ注意!

ダンサー・イン・ザ・ダークのあらすじ

 

本作のあらすじは、このようなものです。

アメリカに住む移民セルマは、息子ジーンと2人暮らし。貧乏だが工場での労働は、友人に囲まれて日々楽しいものだった。だが、セルマは先天性の病気で徐々に視力が失われつつあり、今年中には失明する運命にあった。ジーンもまた、彼女からの遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまうため、必死で手術費用を貯めていた。
ある日、ジーンの手術費用として貯めていた金を親切だったはずのビルに盗まれてしまう。セルマはビルに金を返すよう迫り、もみ合っているうちに拳銃が暴発し、ビルは死んでしまった。セルマは殺人犯として逮捕され、裁判にかけられる。セルマはこのまま真実を語らなければ、死刑となってしまう。しかしセルマは真実を語らず死刑宣告を受ける。
死刑執行前、セルマは恐怖からジーンの名前を叫び、死の恐怖を女性看守に訴える。死刑の見届けをしていた友人のキャシーはセルマに、ジーンはもうメガネが必要なくなり、手術に成功したことを知らせる。安心したセルマは落ち着き、笑顔になりながら「最後から二番目の歌」を歌った。しかし、歌の途中で死刑が執行されてしまう。
セルマが真実を語らなかった理由は「自分よりもジーンが大事だったから」であり、ビルを殺してでもジーンのためなら構わなかったためであった。(wikipedia 引用)

目の見えないセルマの生き様

 

ダンサー・イン・ザ・ダークで一番好きなセリフは「目が見えないのかい?」と聞いたジェフに対してセルマが言った、「見るべきものがある? 何もかも見た今、もう見るものはない」というセリフです。

 

このセリフを言えたのには理由があります。

病気によって段々と目が見えなくなっていたセルマは、失明することに対して心の準備ができていました。

実際、セルマは見えなくなったことに対して感情を表に出すことはありませんでした。目が見えなくなることに恐怖を感じていなかったのではないかとさえ思います。

 

しかし、息子(ジーン)の目が見えなくなることには相当な恐怖感を持っていました。セルマは息子の病気の進行を人生をかけてでも阻止しようとしました。

苦しみによる辛さというものは、時に「自分」よりも「最愛の人」が受ける時に大きくなったりするものです。

「息子以外どうでもいい」という盲信的な愛は、セルマを愚かであり純粋である人物の象徴として描かれています。大切なものを守ろうとする人間としての強さを感じます。

 

ミュージカルが好きなセルマは、いつも自分が踊る妄想をしていました。

そのミュージカルという幻想の中で、セルマは色々なものを見ました。厳しい仕事をしなければならないという「目を背けられない現実」の中で生きるセルマは、その現実を目で見ることができません。

 

見えないからこそ何かを見ようとしました。

何も見えないからこそ、自分自身で見るべきものを創りました。

 

セルマが死刑を受け入れた理由

 

揺るがない事実として、セルマはビルを殺しました。

だからこそセルマも人間に殺さるという運命を課されたのだと思います。

 

唯一断ち切った運命は、息子が見えなくなるという運命でした。

セルマ自身が「自分の運命」も「息子の運命」も決めたのは、彼女の持つ強さだったのでしょう。


最終的にセルマが自ら死を選んだ理由は、セルマの人生最大の目標であった息子の手術が成功したからです。

手術が成功したということは、彼女の生きる意味を全うしたということでもあったのです。

 

 

セルマの処刑シーンで、彼女は「最後から二番目の歌」を歌いました。

彼女の人生最後の舞台で「最後ではない歌」を歌ったのには強い意味を感じます。

 

完結を迎えぬまま幕を閉じたことには、2通りの意味があると考えています。

1つ目は、死後の世界が待っているという予兆だということ。

2つ目は、「生」に対して未練があり終われせたくなかったということです。

 

映画には必ず解釈の正解があります。それは映画監督の意図です。映画監督がどのような意図を持って、「最後から二番目の歌」を選曲したか聞いてみたいものですね。

 

 

処刑場まで107歩をセルマが歩くシーンでは、一歩一歩近づいてゆく死への恐怖と、生に対する執着が描かれています。

死を受け入れながらも「生」に未練を見せたセルマは美しいなと思いました。

生きるという選択肢も持っていながらも、自分の命を捨てて息子の目が良くなることを選んだセルマは本当に強い人間でした。

恐怖することも、耐えられず泣き崩れることも「弱さ」ではありません。

 

怖くて怖くて仕方なくても、やるべきことをやった「強さ」が素晴らしいと思いました。強いというのは、いくら弱音を吐いても、最後にやり遂げることを言うのだと思います。それを教えてくれたのがセルマでした。

 

セルマの生き方と山口絵里子さんが似てる

 

「裸でも生きる」という本を書いた山口絵里子さんの生き様がセルマに似ていると感じました。

バングラデシュで独力でカバン工場を立ち上げ、マザーハウスという会社の代表取締役をしている人であり、『裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~』の著者でもあります。

 

彼女のすごいところは「自分の弱さと戦う強さ」があるところです。

バングラデシュで工場を立ち上げるまでにぶつかった困難や恐怖に対して、山口さんはめちゃくちゃ怖がるし、辞めたいとも、嫌だとも言います。

でも辞めない。

 

なぜならそれがやりたいことであり、やらなければならないと思っているからです。

強さというものは「物怖じしない」「どんどん前へ進んでいく」「いつでも平気」というものではないんですね。

恐怖に折れない強さを身につけたいなと思わせてくれる人です!

 

さいごに

 

善人として描かれている主人公が処刑されて終わる映画が「ダンサー・イン・ザ・ダーク」です。

処刑シーンは、言葉を失うほど残酷に描かれています。
これがうつ映画と呼ばれる理由なのだと思います。

 

しかし、視聴者が感じるほどセルマは不幸だったのでしょうか?

セルマは自分自身が信じる正しい行い、息子を守りきりました。

最愛なもののために死ぬということは、幸せであったのかもしれません。